ここ30年が日本酒を変えたか?

 泉橋酒造株式会社は江戸・安政4年(1857年)に創業されました。6代目の当主である代表取締役 橋場友一氏は、清酒業界がここ30年で劇的に変わったことを話されました。

 清酒の製造方法が確立した江戸時代からお話が始りましたが、紙面の都合上、昭和の戦時体制が清酒に与えた影響から始めます。

 

 1937(昭和12)年日中戦争、1941(昭和16)年太平洋戦争と続き、戦地へ米を送りこみ、米不足に拍車がかかります。1942(昭和17)年には、食糧管理法が制定され、酒造米も配給制になります。酒の供給が需要に追い付かず、酒を水で割って売ることが横行しました。その結果1943(昭和18)年には、アルコール濃度の規格、即ち日本酒級別制度が設けられました。規制をすることで、清酒にアルコールと水を加えて増量する「アル添酒」が出現しました。

 

日本酒級別制度の撤廃

 1992(平成4)年には、アルコール度数で分類した日本酒級別制度が完全に撤廃され、「普通酒」と「特定名称酒」に分類されます。普通酒とは、特定名称酒以外の清酒。特定名称酒とは、原料や精米歩合により、本醸造酒(ほんじょうぞうしゅ)・純米酒(じゅんまいしゅ)・吟醸酒(ぎんじょうしゅ)になど9種類の名称からなります。

 

食糧管理法の廃止

 1995(平成7)年に食糧管理法が廃止されたことを機に、翌年から米作りを開始。0.5ヘクタールの自社田で日本晴の栽培からスタートし、2年目には地元生産者4名と共に「さがみ酒米研究会」を発足。2015年の栽培面積は40ヘクタール(自社栽培6ヘクタール、残りは酒米研究会)で、山田錦を中心とする5品種を栽培。神奈川県の山田錦の生産量は、全国の産地33府県のうち17位までにあがりました。

 

「栽培醸造蔵」と「全量純米酒」貫く信念

 「栽培醸造蔵」とは、酒米の栽培から精米・醸造までを一貫して行う蔵いいます。

 米作りを始める前の純米酒の比率は15%程度。焼酎ブームの時には生産量が600石(製造石数:1,000石)まで落ち込みましが、「米を造るならアル添酒はやめて全量純米酒を目指す」信念を曲げず、2006年には全量純米酒を達成しました。

 現在の生産量は900石で、その原料米の95%を自社とさがみ米研究会で担っています。「栽培醸造蔵」であるメリットを生かし、施肥しすぎない健康な土壌で、無農薬もしくは低農薬で栽培しますので、田圃には赤トンボや虫たちがたくさん飛び回っています。

 地元の健康な土壌で山田錦を育て、地元の麹と酵母で酒造りをするので、泉橋酒造ならでは味わいがあります。5種類の山田錦を提供して頂き、参加者全員で舌鼓を打ちました。